(人が人を裁く)
「人が人を裁く」ーー 入管の審査システムは、同じ法務省管轄という事もあり、「裁判」に似ているところもあるし、違うところもある。
申請者から提出された各種の証拠や資料を基に、入国在留審査官が 「心証」を形成し、入国や在留の諾否を「判断」する。 「裁判」と大きく異なるのは、「弁護人」「検察」「裁判官」と言った3つの役割分担が基本的になく、「審査官」がこの3つの役割を兼務する。 「審査官」には、事実をどのように判断するか自分で決定する権利=「裁量権」が付与されており、その権利は「法務大臣」に付与されているものと同じものと解釈されている。
その裁量は、「裁判」による「事実認定」という手続きによってのみ、覆されることとなっている。
「~の恐れがあり、~とは、認められない」というふうに、入国審査官が「心証」を持ったことを、何か罪に問うようなことは、基本的にはできない。また、「裁判」の原則は、有罪と立証できなければ、「無罪」という「推定無罪」(疑わしきは、被告人の利益に)であるけれど、「入管行政」の基本は、好ましくないものを、日本の国土に立ち入らせないのが、大きな目的であるから、どうしても「推定有罪」のような様相を呈する。好ましくないものは、その疑義が完全に払拭されるまでは、許可が出ない。
申請人や申請企業からしてみれば、「拡大解釈」や「事実誤認」と見えることでも、裁判などで覆すのは容易でない。時間と労力がかかる。結局、再申請という方法で、細かく、説明や証拠を提出して、再度、説得する方法しかないのである。
「裁量権による心証」というのは、非常に厄介なもので、その審査官のものの考え方や、履歴によって、人それぞれだ。いろいろな判断が出る可能性がある。 厳しい判断の人、外国人の在留に関して、バランスの取れた 感覚を持っている人、等々、同じ申請内容であっても、異なった結果が出る。申請においては、一番厳しい人を納得させられる話法が望ましい。
上司=統括審査官がいて、部下である「審査官」の判断をチェックしないのか、って? 事実上、このチェック機能はないに等しい。よほどのことがない限り、上司は「審査官」の判断に承認を与える。 裁量権に基づく判断であり、入管側は誰も傷つくことはないし、上司が部下に変ないちゃもんをつけて、部下がへそを曲げ、山と積みあがる「審査業務」に支障が出るのを恐れる。
人が証拠と資料に基づき、人の処遇を決める。 好いにせよ、悪いにせよ、これが現在の入管の行政である。申請する側は、その良い点、不利な点を正しく、見極めて、より良く適応・対応していく以外の方法がないのである。
vo.